2015.09.30


東浦町のことを、今の時期だからこそ真面目に考えてみようと思います。
先だって神谷明彦町長が2期目の当選をいたしました。去る8月2日が投開票予定でした東浦町町長選挙。結果は7月28日午後5時時点で他の立候補者が無く、無投票となりました。
無投票という時点で、個人的には(住民に選択肢が示されなかったという点で)非常に不満があります。この結果、神谷明彦さんに、もう4年間東浦町の舵取りを任せる、という事になりました。
東浦町。私も住んでおります。事務所も構えております、この東浦町。愛知県知多郡東浦町について、このタイミングで私なりに考えてみます。
このタイミングだから大事なのかもしれません。

良い町ですよね。まずは。

こんな仕事をしていますし、色んな基礎自治体のことを知っているつもりでいます。愛知県内外、たくさんの市町村を見ていますし、それぞれに特徴や個性があります。
様々我らの町について思うこともありますが、まずは何は無くとも『良い町だなー』と感じます。暮らしやすい。と正直思います。

便利さ。自然。暮らしやすさ。

農業、工業、商業がそれなりにあり、店舗もそれなりにあり、名古屋からもほど近く、大府や刈谷、半田や東海とも近く、どこに行くのも便利です。
高速道路の出入口もありますし、電車の駅だって5ヶ所もある。
海も丘も林も川も里山もあるし、於大公園や三丁公園、緑浜緑地にあいち健康の森まである。
イオンやマルス、その他買い物するところだってある。映画館もある。スタバもある。TSUTAYAもある。金融機関だってそこそこある。人口も増加傾向にあり続けています。





市制移行への混乱。2010年ショック!!人口水増し!!!

そんな町に衝撃が走ったのは、2010年の国勢調査を受けて、人口5万人を突破し、市制移行に向けて最終段階に入っている最中でした。
いわゆる人口水増し問題発覚→市制移行断念→当時の副町長が統計法違反で逮捕
というスーパーコンボが2011年から2013年春先にかけて次々と発覚をいたしました。はっきり言って話になりません(ばっさり)。住民を完全に裏切る結果になったのは言うまでもありません。猛烈に市へのこだわりを持ち、盲目的に暴走した結果、この町と町民に、今でも大きな傷として、「ずる」をしたトラウマはこの町に残っているように感じます。

幻の本会議初討論。東浦市になる。から一転、悪い事した。に。

裏話ですが、2011年4月に愛知県議会議員に初当選した私は、その6月議会で早々と本会議に登壇する予定でもありました。
ありました、と書きましたのは、幻に終わったからです。その名も「東浦市制移行に関する条例に対する賛成討論」であります。
奇しくも同時期に市制移行を目指し、実現した長久手市(旧長久手町)選出の石井県議による討論を、羨ましく眺めていたのを今でも思い出します。みよし市(旧三好町)選出の小山県議も経験したこの賛成討論は、政治家としてそんな機会を得ることは、しようと思ってもできない、非常に珍しい事です。そんなチャンスはめったにない。
2012年1月4日東浦市誕生。1月5日に市制移行セレモニーと。今でも私のスケジュール帳には書いてあります。

閉鎖空間。無謬主義。お上の顔色伺いの極み。

当たり前のように東浦市を受け入れようとしていた私も含めて、町民にとっては良い迷惑でありました。期待を裏切る結果になってしまった。連日全国の新聞やニュースで、ふるさと東浦町は水増しの汚名を着せられて、悪い意味で有名になってしまった。
では何故こんなことになったのか。その原因究明をこの場で考えても特段意味をなさないと思いますのでこれ以上掘り下げません。(私なりの見解や、こちらも裏話もありますので、会った時にでも聞いてください。)しかし、当時の東浦町の閉鎖感であったり、行政上に漂う空気はその結果を出すには充分であったのかもしれません。
東浦町は、私が県議会議員になる前は9期36年間同じ方が県議をしていました。その前は、その人の父親が県議を6期24年務めていましたので、親子で60年になります。
また、東浦町の当時の町長さんは8期32年勤め、9期目も目指されていました。一概には言えませんが、長期にわたって同じリーダーが続くと、部下が住民ではなく、上司の顔色をうかがう土壌をつくるにはもってこいのように思います。特に東浦町のように大きくない自治体ではなおさらです。

そんな中、河合2度目の挑戦で県議初当選。神谷町議を辞し、町長選挙へ。

2007年、私河合洋介は県議選に初挑戦。古豪現職の胸を借りましたが落選。2011年に初当選させていただきました。そしてその夏、勇退かと思われていた当時の現職町長が、(おそらく市制移行後、初の市長を目指されたんだと思いますが)9期目に挑んだ町長選挙において、当時町議会議員であった神谷明彦さん(今の町長)が出馬をし、激戦の末、神谷町長誕生となりました。
おそらく、町民の皆さまは当時の閉そく感や、なんだかもやもやした町の雰囲気を変えて欲しいという思いが少なからずあったのだと思います。




未来志向、東浦町をどうしていくのか。

ではでは、長々綴ってきましたが、この東浦町をどうしていくのか。
大げさに言えば、町民は何を期待して河合を選び、神谷町長を選んだのか(2期目も含め)
かみしめて仕事をしなければいけません。
馴れ合い、しがらみ一切無し、風通しの良さや、若さ、情熱、うんぬん、そんな言葉だけでは無く、活動で示していかなければいけません。
神谷町長は「住民参加」を軸に町づくりを考えているようです。私も賛成です。また「景観」にも力を入れています。役場内の若い職員にも様々アイデアを出すように促し、全員参加、オール東浦を目指しているように感じます。
私も概ね神谷町長の方針には賛成ですし、私自身これからの地方自治は、「住民参加」と「コンパクトシティ」の考え方は必須であると考えています。
2015年、この国勢調査を機に、東浦の未来を考えるきっかけになればと思います。国勢調査で失った自信は、国勢調査で取り戻してほしい。取り戻さないといけないと考えています。





今が大事!東浦宣言2015だ!!!

東浦には、歴史や伝統文化がある、お祭りがある、近隣を含めて働く場所がある、みどり豊かな自然がある、美味しいぶどうをはじめ農産品もある、何より町をより良くしたいと考え、主体的に動く人がいます。これが最も大切です。
この町が、自信を取り戻して、知多半島を、そして近隣市町を引っ張っていくくらいの気概を持って未来へ進んでいって欲しいと思います。
そのための一助になれるように私も精一杯取り組んでいきます!!





TAG: 東浦町 政治 国政調査
カテゴリー: 活動レポート

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